お遍路さん登録 ログイン

補陀洛山志度寺 ふだらくざん しどじ

第86番札所


補陀洛山志度寺の画像

補陀洛山志度寺 天武10年(681年)に藤原不比等(藤原鎌足の子)が亡き妻の墓もここに建て、お堂を広げて「死度(しど)道場」という修行場を作った。死度とは、「志度の海辺は極楽浄土へ続く」という信仰によるもの。 海女だった妻が、不比等の宝珠を竜神から取り戻した伝説「海女の玉取り」は、のちに浄瑠璃や謡曲のモチーフになっている。 その後に、不比等の子が母を弔って志度寺として再興した。 室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行い繁栄したが、のちの戦乱により寺院は荒廃する。 藤原氏末裔の生駒親正による支援などを経てのち、1671年高松藩主松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩主松平氏により再興された。 1946年の南海地震で大きな被害を受けていた庭を、京都林泉協会の会長であった重森三玲氏の指導のもと、十年の歳月を費やして復旧した枯山水(曲水式庭園・無染庭)は有名である。(拝観料無料)

基本情報

住所 香川県さぬき市志度1102
電話番号 087-894-0028
宗派 真言宗
本尊 十一面観世音
交通アクセス 高松自動車道志度ICより、およそ3km
地図 補陀洛山志度寺の大きな地図を見る
公式ホームページ

補陀洛山志度寺のお遍路道中記



お遍路ポータルとは

四国巡礼八十八箇所お遍路さん巡りの総合情報サイトです。
お遍路さんによる情報発信と情報を共有する事を目的としています。

詳しく見る
Copyright © 2024 お遍路ポータル ALL RIGHTS RESERVED