作成日:2012年11月25日 訪問日:2012年11月20日
38番札所 蹉陀山金剛福寺
前日の夕食時は、へんろ談議で盛り上がった。
私と新潟の豊山派(本山、長谷寺)の住職と、宮城県から来た57才の男性。もう一人は自動車の販売会社を経営している私と同い年の男性である。
宮城から来た男性はまだ現役であり、ここまでにすでに4年かかったと言う。
震災の前から四国を廻っていたらしい。11時間かけて車で四国入りし、車をおいて歩いている。
自動車販売の東京の人は、なかなかの紳士で落ち着いた人だった。
みなさん口を揃えて「四国はえぇなぁー、こんな文化の残っているところなんてほかには無いわぁー」と褒めちぎっていただいた。(私は徳島なので喜んでいる)
新潟の住職は残念ながら明日用事で帰るらしい。来年の2月にまたここから再開するといっていた。
区切りで再び会うことなど滅多に無い確率だろう・・・。今度は会えるかな??
(なんかこの人とは縁があるのかも?)
さて、話題は次の日の宿になった。この宿の女将を含めて、皆があそこは良くないと口を揃えて言い出したので、私はあえてそこに泊まる事にした。(皆さん噂話で・・・)
三原村に行くのには下の加江から21号線を進むルートと、真念庵から46号で行くルートと、西海岸を廻り今の山を越えて入るルートがありますが、前回真念庵ルートを通ったので今回は21号線を下の加江川に沿って進む道を選ぶことにしました。
本当は、延光寺の手前の宿のつもりだったので、時間が余ってしまってゆっくり歩きました。
途中、昨日へんろ小屋で分かれた埼玉県の男性とあったりして、雑談しながら今日はゆとりです。
今日泊まる宿は、管前首相も泊まったことのあるNPO法人で清水川荘と言います。
3時30分には到着! 余裕の行程でした。
歩行距離 23.7㌔ 歩行時間 8時間20分 札所 0カ寺
清流「下の加江川」に沿って県道21号線を三原村へ進む。
姥瀧権現の祠。応仁の昔、一条公の息女椿姫がさらわれて、滝に身を投げた姥をお祭りした祠。
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