作成日:2013年03月20日 訪問日:2013年01月12日
37番札所 藤井山岩本寺
青龍寺から岩本寺へ3日間をかけ、2年越しの歩き遍路の旅をした。2012年(平成24年)12月23日(日)青龍寺と奥の院を参拝後、須崎市に向かった。横浪スカイラインを通る道があるが、今回は、宇佐大橋まで戻り、深浦、横浪を通る旧道を歩くこととした。
奥の院を参拝後、9:10には青龍寺に戻る。青龍寺から須崎市に向かう場合、横浪スカイラインを通る道と宇佐大橋まで戻り、深浦、横浪を通る旧道がある。スカイラインは車が多そうなので旧道を歩くこととした。
真冬なのにシャツ一枚で歩く。心地よい風にさらされる。冷たい風が心地良い。途中、すれ違った老女から「今日は寒いですね」と言われ、「寒いですね」と答えたが、実は暖かいと思って歩いていた。海岸に沿った道から見る海の水は透き通っている。磯の良い香りもする。香りに臭さが無く、良い匂いである。都会の海辺と違う心地よさを感じる。
途中、「土佐福島休憩所」や小舟を屋根に乗せた遍ろ小屋、「ヘンロ小屋須崎17号」など多くのヘンロ小屋が設けてある。宿泊できる所も多いようで、壁には、宿泊者と思われる多くの納札が貼ってある。あるヘンロ小屋には「告」として、「新興宗教の勧誘を遍路にする者がいる。」と書かれている。先に出会った仏教に詳しい二人連れを思い出した。
15:30頃、須崎市街に入る大橋の手前でご婦人の車が反対車線から寄って来た。危ないと思うと、窓から顔をだしてたくさんの飴玉の入った袋を渡してくれた。お接待である。中には、飴玉のほか、5円玉が10枚束ねて入っていた。有難いことである。
16:00頃には、JR須崎駅に到着した。駅前では、須崎のレポートをしているという女性に声をかけられ、写真の許可を求められた。遍路のコスチュームが良いらしい。
2012年(平成24年)12月24日(月祝)三連休の最終日。標高228mの焼坂峠を越えて土佐久礼駅に向かった。山中は、周りを木が生い茂りうす暗く、遠くには、晴れた空の下の海が光って見える。下界が浮き出るような光景である。下り道は、枯れた松葉が敷き詰めるように残っており、一人、黄色い絨毯を踏みしめて歩いた。午前中に、土佐久礼駅に辿りつき、特急列車と新幹線を乗り継ぎ大阪まで帰った。土佐久礼の待合室は、二人の遍路に出会い、いろいろ情報を頂いた。須崎では、柳家旅館が旧家であり、映画のロケにも使われたとのこと。旅館の前の「鍋焼きラーメン」が、有名で、昨今のB級グルメのブームで賑わっているとのこと。惜しいことをした。
年の明けた2013年(平成25年)1月12日(土)歩き遍路の21日目を土佐久礼駅から岩間寺までの約20kmを歩いた。土佐久礼駅(中土佐町)から「土佐往還そえみみず遍路道」を通り、14:30には37番札所岩本寺に到着した。岩本寺の本堂は、天井絵が面白い。お寺の和尚が寝転がって写真を撮るといいと勧めていた。
この日は、岩本寺の宿坊に泊まった。この日は、団体の遍路の一行が宿泊していた。バスを利用している歩き遍路のツアーであり、一日20kmを歩くらしい。バスで宿に移動し、翌日、その地点までバスで行って、再び歩くようだ。月に2回、2年で結願するらしい。団体で長距離を歩くのは難しいが、このグループは健脚揃いとのことであった。食事は、いつものことだが食べ過ぎである。特に、高知の米は、土佐の香り米が有名なようで、この宿坊の御飯も良い香りがし食が進んだ。
ヘンロ休憩所には、畳1枚のベットが2つ置かれていた。入口には、宿泊可と書かれていた。
10:50頃、防波堤防の遍路道をのんびり歩く。透き通った海の水。香しい海の匂いがする。歩いて気持ちが良い。
遍路道の途中、内之浦小学校前にお守りが置いてあった。小学生が小石に可愛い顔を書いて安全を祈ってくれている。
11:40舟を屋根にした遍ろ小屋で休憩する。
2012.12.24須崎から中土佐町に向かう途中、8:30頃の国道56号線からの眺望。
9:00、焼坂峠の遍路道に向かう。手書きの看板が嬉しい。
11:20頃、中土佐町を歩く。造り酒屋の杉玉も見える。
遍路道にある道標。右「ほんみみず」、左「そえみみず」と書かれている。遠くに見える橋梁は、国道56号線である。
整備された長く続く階段の遍路道である。足に堪える。
遍路道の傍らにある無縁の墓。今も手入れされている。
岩本寺の境内
岩本寺本堂の天井画
岩本寺の宿坊
宿坊での夕食
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