作成日:2013年01月21日 訪問日:2012年11月24日
30番札所 百々山善楽寺
国分寺の納経所の前には、お茶とお菓子のお接待が用意されていた。ありがたく頂戴し、暫し休憩した。11:00善楽寺に向け歩き始めた。門前には、善楽寺まで7kmの標識がある。
12:20頃、逢坂峠を越え、南国市から高知市に入る。30分ほどで山門に着いたと思ってしまった。ここは、土佐神社の楼門であり、仁王ではなく門守神像が守っていた。これを仁王門と思ったのが帰りの道に迷う原因となる。土佐神社の長く続く参道を歩き、大鳥居の右手に善楽寺があった。
土佐神社の長く続く参道を歩き、大鳥居の右手に善楽寺があった。山門を入ると、大きな十一面観音が出迎えてくれる。境内は、広くはないが、何か奥行きを感じ、ゆったりとできた。
この辺り一帯は、「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた所である。お寺の縁起によると、桓武天皇(在位781~806)の後の大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。土佐の豪族、長宗我部元親公、土佐2代藩主・山内忠義公の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめたようである。
12時ごろ、遍路道を歩く。
13時ごろ、土佐神社の楼門に到着する。善楽寺の仁王門と勘違いをし、帰り道の地図を見間違えた。
土佐神社の参道が長く続く。
善楽寺の山門では、大きな十一面観音が遍路を迎えてくれる。
広くはないが、手入れの行き届いた境内をゆったりと歩く。
善楽寺境内
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