作成日:2013年01月04日 訪問日:2012年11月24日
29番札所 摩尼山国分寺
大日寺まで4kmの香南市の旅館に宿泊。前日に、大日寺を参拝しているので、本日は、29番札所国分寺を目指すことになる。朝食では、久々にテーブルの同席者が居た。カシオワールドオープンゴルフのギャラリーとして来ているようだ。毎年来ているとのこと。遍路もしているとのことで、話が弾んだ。車での遍路は、50回を重ね、先達の資格を取る予定にしているとのことであった。一人で車を使って回れば、5、6日で回れると話していた。確かに、1日200km程度なので慣れれば可能かもしれない。
7:00旅館を出発。8:15物部川を渡ると、広い田畑が広がる。遠くで大勢の人が畑にいる。何を収穫しているのだろうか。田圃には、収穫の後に再び目が生え、所々には、実っている稲も見られた。二期作で有名な土地柄がよくわかる。
遍路道に沿って多くのハウスが見られる。農家の方から話を聞くとニラであった。所々の畑に、枯れた笹のようなものが栽培されていた。先の畑の収穫も同じもので、生姜であるとのことであった。土佐が生姜の産地として有名であることを初めて知る。
風は冷たいが、昨日までの雨とは異なり晴れている。シャツ1枚で歩くとちょうどよい。ススキが見ごろで南国の秋を感じる。道脇の水路には、稲が1本生えている。稲籾が水路に落ち、引っかかったところに根付いたのだろう。自然のたくましさを感じる。ここで、下手な一句。
-----水路にも一本生きる稲穂かな-----
9時頃、大日寺と国分寺の中間地点である「松本太子堂へんろ小屋」で休憩する。花も新しく手入れが届いている。近くにトイレもあり、地元の方々が熱心に守っているものと思う。ここで、倍ほどの荷物を担ぐ逆打ち遍路と会う。生き様について熱心に語っていた。9:50「へんろ石まんじゅう屋」を通過。この辺りは、歩道がなく、道幅も狭いうえに交通量が多い。歩きにくい。恐ろしい場面もあった。10:00国分橋を渡り、堤防を歩く。気分は壮快である。
10:20国分寺に到着する。国分寺は、聖武天皇の勅願により、天平13年(741年)に行基菩薩が開基したものである。土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人であり、『土佐日記』を書いた紀貫之(900年頃)と縁が深いと聞く。紀貫之が4年間滞在した国府は、国分寺から1kmほどにあり「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心になっていたようである。11時頃には、善楽寺に向かった。
ニラのハウスや生姜畑の中の遍路道を歩く。
枯れた笹の葉のような生姜畑。土佐は、生姜の産地とのこと。初めて見る光景である。
地元の方から、大日寺と国分寺の中間地点と教えていただく。へんろ小屋でもあり、手入れが行き届いている。近くには、花畑やトイレもあり、思わずのんびりする。
国分川の堤防を歩く遍路道。天気も良く気持ちよく歩くことができた。
第29番札所 国分寺の境内。
境内にある酒断地蔵尊。思わず手を合わせて祈った。
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