作成日:2012年10月31日 訪問日:2012年10月07日
24番札所 室戸山最御崎寺
2012年9月15日、歩き遍路 9日目。徳島県牟岐町から土佐の国(高知県)へ向かう。
朝7:00、徳島県牟岐町の旅館を出発した。途中、鯖大師を参拝し、15:00に阿波の国(徳島県)から土佐の国(高知県)に入った。沢山に区切って打ったので、大阪からの移動ロスはあるが、9日で発心の道場を参ることができた。
12:20海南町の国道55号線に「第一号のヘンロ小屋」の看板が目に入る。「野村カオリさん」のヘンロ小屋である。当日は、無人であったが、地元の方々により運営されている。トイレや休憩場所が整備され、クーラーボックスには、冷えたオロナミンCがあり、1本頂き元気を取り戻した。
国道55号線を歩くが、小那佐付近は、深い入り江になっているので、美しい眺めで快適に歩くことができた。
15:00高知県に入る。ついに、歩き遍路の一国目の阿波の国(徳島県)、発心の道場を終え、修行の国に入った。昨日の雷雨から、修行に入って感があるのだが。
時間に余裕があったので甲浦(かんのうら)の町を歩くことした。今までよく目にした赤い遍路シールが殆どない。遠目で赤い印が見えたので行ってみると津波非難の矢印であった。ついに、「うぐいす谷」に迷い込み、行き止まりとなった。引き返し、近所の人に尋ねると親切に方向を教えてくれた。時々、迷う遍路がいるそうで、心配になり自転車で来てくれたようである。感謝、感謝。たぶん、歩きに専念せず、心が迷っているから道にも迷うのだろう。16:20には民宿に無事到着した。
2012年9月15日、歩き遍路 10日目。7:00に出発したものの、台風が心配なり、16km先の佐喜浜から大阪に戻ることにした。
途中、東洋大師に参拝。山門の犬も静かにおとなしく横たわっている。近くを歩いても驚かず、首を擡げて目配せをするような雰囲気である。飼い主の気性が伝わるのかもしれない。私が犬を飼ったら大変なことになる。
東洋大師縁起によれば、弘仁2年、嵯峨天皇の代に弘法大師が四国八十八か所開創の折に立ち寄られ、加持祈祷により清水を得られた地と言われている。寛永10年(1641)には、この地に番外札所があり、遍路宿泊所として用いられた記録がある。実際に大正時代頃までは、室戸までの道は整備されておらず、海岸沿いに、「ごろごろ石」「飛び石」「はね石」という足元が悪いところを歩いていたようである。昔は、満潮で海岸を歩けないときは、野根で昼寝をして翌早朝に野根山を越えていったことから、東洋大師は、「野根の昼寝」と言われたそうである。その名残か、通夜堂がある。3畳ほどの建物で雨風が防げるようになっている。扇風機もあり、数人の宿泊なら申し分ないと思う。
道中、おばさんから「台風が来るけん、早よう行けや、大雨大風だから、バスでも何でも使って早よう行け(方言に誤りがあるかも)」と言われながらも、世間話に花が咲く。このあたりは、東洋町野根、民宿の女将から通行止めになると言われていた集落である。しばらくすると、おじさんに呼び止められ、この辺り出身の有名人のお国自慢が始まるった。皆さん、のんびり過ごしている。天候急変を心配し気が急いていたが、思わず歩きがのんびりとなる。
9:30法海上人堂がある。「水」の表示があるが、谷川の水を汲むようになっている。空のペットボトルに水を補給する。冷たく澄んだ水である。少しの浮遊物は止むを得ない。なお、今も健康に問題は生じていない。ただし、この辺りには、猿が多い。さすがに多数の猿に睨まれると恐怖を感じる。思わず目を逸らした。
11:00仏海庵で再び水を補給する。仏海は、伊予(愛媛県)北条市の生まれで、宝暦10年(1760年)に駐錫し佛海庵を起こし18歳から3,000体の地蔵尊像を彫刻し四国巡礼を重ねたと言われている。
12:00国道沿いにある佐喜浜バス停から高速バスで帰ろうとしたが満席であった。路線バスとの乗り継ぎで生見からなら大阪まで行くこととなった。車窓の風景は、正に、今日歩いた道路を遡るもの。随分歩いたものと不思議な気持ちになった。
2012.10.6(土)、歩き遍路11日目を開始する。
やや遅れて、13:20頃、佐喜浜に到着。前回切符の手配をしていただいた店員さんから「今日、また、始められるのか」と聞かれた。覚えていて頂いたようである。前回のお礼とともに、気持ちの良いスタートを切った。
13:40佐喜浜を出発する。防波堤路を暫く歩く。正に海を見ながらの歩きであり、風も秋らしくなり気持ちが良い。
15:00夫婦岩で休憩。観光バスが、路肩に停車して観光していた。一人の初老の男性から声をかけられ、自分も歩いて回りたいと感慨深げに言われていたのが印象的であった。この日は、9kmの道のり、15:40民宿椎名に到着した。歩き遍路だけを泊めている民宿である。部屋は、2部屋で、私は、初めての相部屋となった。16:00相部屋の方から民宿に電話がかかってきたようである。まだ、佐喜浜とのことで民宿の女将が車で迎えに行った。しばしば見かける光景である。夕食は、3時間あまり、宿屋の女将と歩き遍路3名でビールと食事の楽しい一時を過ごした。明日も、この3人が同宿となる。3か寺を回り25kmを歩くことになる。
・・・長き夜一期一会の遍ろ宿・・・・
2012.10.7(日)歩き遍路 12日目である。
6:05の日の出に合わせて椎名海岸に出るも雲が立ち込め残念ながら日の出を見ることはできなかった。しかし、水平線近くの雲間が赤く染まってくるのをのんびり眺めるのも気が落ち着く一時であった。
7:00民宿椎名を出発。遍路道の途中、中年のご婦人から声をかけられ、缶コーヒーとパンのお接待を頂く。先日は、イタリア人のご夫妻が歩いていたとのこと。
青年大師像のお寺、霊場「弘法大使修行之処」を参拝し、史跡「室戸岬」の標識近くから、山道に入った。10:00頃から、24番札所「東寺最御崎寺」を参拝。お寺から5分ほどの室戸岬灯台を観光し、津照寺に向かった
8:40頃、海岸を歩く遍路道。
12:20海南町の国道55号線に「第一号のヘンロ小屋」の看板が目に入る。「野村カオリさん」のヘンロ小屋である。当日は、無人であったが、地元の方々により運営されている。トイレや休憩場所が整備され、クーラーボックスには、冷えたオロナミンCがあり、1本頂き元気を取り戻した。
13:20頃、国道55号線を歩き、小那佐付近を通過、深い入り江になっているので川岸のように対岸が見える。美しい眺めで気持ちのいい歩きとなった。牟岐町から約14km地点である。
7:40頃、東洋大師に到着、参拝する。
東洋大師にある通夜堂の内部。快適そうである。
路傍のお地蔵さん。多くは、遍路の行き倒れの墓標の後に祭られたと聞く。
9:30法海上人堂があり、休憩できる場所がある。「水」の表示があるが、谷川の水を汲むようになっている。空のペットボトルに水を補給する。冷たく澄んだ水である。少しの浮遊物は止むを得ない。なお、数日経った今も健康に問題は生じていない。この辺りには、猿が多い。さすがに多数の猿に睨まれると恐怖を感じる。思わず目を逸らした。
14:20頃、防波堤路を暫く歩く。正に海を見ながらの歩き、風も秋らしくなり気持ちが良い。
15:00頃、夫婦岩で休憩。観光バスが、路肩に停車して観光していた。一人の初老の男性から声をかけられ、自分も歩いて回りたいと感慨深げに言われていたのが印象的であった。
6:05の日の出に合わせて海岸に出るも雲が立ち込め残念ながら日の出を見ることはできなかった。しかし、水平線近くの雲間が赤く染まってくるのをのんびり眺めるのも気が落ち着く一時であった。
9:20頃、明星来影寺参拝。21mの青年大師像が圧倒する。
青年大師像から少し上ると金色の涅槃像がある。雄大な太平洋を望むことができる。
9:40頃、「弘法大使修行之処」という2つの洞窟があり、霊場になっている。御厨人窟といい、弘法大師が修行のしていたころ、明星が口に飛び込んだことで求開持法が成就したとことを悟ったという。大師の自叙伝「三教指帰」には「土州室戸岬に勤念す。(略)明星来影す」とある。
室戸岬の標柱。
10:30頃、最御崎寺に到着。写真は、境内の様子。
最御崎寺から5分ほどの室戸岬灯台を観光。室戸岬は、明治32年(1899年)4月1日に完成したものである。改修が重ねられ、現在では、日本一の一等レンズで約49kmまで光が届くという。
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