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四日を費やし辿り着いたお寺

うさぎさんのお遍路道中記

作成日:2012年04月19日 訪問日:2012年04月02日
38番札所 蹉陀山金剛福寺


思えば長い道程だったこの札所。
途中死ぬかと思った遍路旅。
四日を費やし辿り着いた。

回想
3月5日月曜日
窪川に再上陸し、まるか旅館さんでお世話になった。

3月6日火曜日
翌朝6時半には宿を出て、応援に来てくださっている香川の先達白井さんが待つ岩本寺に向かう。
まだ納経所は閉まっていたが、本堂、大師堂にこれからの旅の安全を祈願して白井さんの待つ駐車場へ向かった。
白井さんは大阪の伊吹さんご夫婦の紹介で、今日初めて会う方だ。
緊張しながらも挨拶をし、先達さん所有の特別金剛杖と渋柿塗りの高級菅笠をお借りし、ちゃっかり記念撮影をしてしまった。
先達白井さんにはこれまでメールやお手紙で幾度も応援して頂いてきたが、今回は一緒に歩いてくださると言う。すごく嬉しかった。
先達さんは車なので、途中の駅に駐車し、歩いた先から電車で車まで戻るという寸法だ。
10キロ先の佐賀温泉当たりで落ち合い一緒に歩く事にした。
天気は快晴。
3月にしては暖かく汗ばむくらいの遍路日和で申し分ない。
元気に出発したが、相変わらずザックは欲深さで重いため後ろに倒れそうになる。
しかし、応援もあるせいか調子良く歩いた。
2時間弱で佐賀温泉に到着し、先達さんと合流。
しかし駅は少し奥にあるため次の伊与喜駅で再び落ち合うことになった。
駅までは6キロ。頑張って再び歩き出す。
灘らかな上りの国道の辛いこと、暑いこと。
でも、合流したときの為に休憩は楽しみに取っておこう、頑張って歩くことにした。
立ち止まることなくひたすら歩く。
するとほど無くして先達さんからメールが来た。
「伊与喜駅に駐車場がないので次の土佐佐賀駅で待ってます。」
ショックで気絶しそうだった。
土佐佐賀駅は随分遠いのだ。
しかし、わざわざ香川から応援に来てくださっている先達さんを待たせる訳にはいかない。
行くしかないのだ。
更に距離を伸ばし、遍路道は山道に入る。
真っ暗なおどろおどろしいトンネルを小走りで駆け抜け国道沿いに出ると先達さんが待ちかまえていてくださった。
時刻は午前11時。
岩本寺を7時に出発し、ここまで18キロ。
立ち止まることなく、水も飲まず歩き続けた。
が、先達さんが「さぁ、行きましょうか。」とおっしゃる。
正面から日本刀でズッパリ切られたような感じだった。
先達さんはきっとドSに違いない。
トイレも我慢していたので、近くのスリーエフで休憩をお願いした。
ベンチに座りながら、つい恨めしい顔で先達さんを見てしまう。
気を取り直し二人で歩き始める。
今夜の宿は民宿日の出さん。
ここから11キロほどの距離だ。
ところが、先達さんは意外に体力が無かった。
2キロ歩いた佐賀公園のパーキングで休憩になった。
先達さんからドーナツを頂きご機嫌に食べていると、観光のご夫婦からバームクーヘンのお接待をいただいた。
単純な私は、さっきまでの辛かった道程をドーナツとバームクーヘンですっかり忘れて元気になっていた。
お調子者が更にパワーアップだ。
数キロ歩いて休みを繰り返した。
歩きながら先達さんが仕事のお話しや、恋愛話をしてくださった。
私の方が歳上だったので、女と言う生き物はあーだのこーだのと生意気なアドバイスをしてしまった。
若い男の子から恋愛話を聞くと、黙っていられない年齢になってしまった自分が悲しい。

午後2時過ぎには宿の近くに到着した。
宿の手前でアイスクリーンを売っているお母さんに出会う。
先達さんが物欲しそうな私の視線を察知したのか、お接待してくださった。
しかも、お母さんが余分にアイスクリーンをてんこ盛りにお接待してくださった。嬉しいダブルお接待だ。
暫しお母さんを交え休憩をとる。
お母さんはキヨ子さんという名前で、とても上品に可愛らしく笑う。
海を眺めて寛いでいると、女性の独り歩きお遍路さんがやって来た。
千葉から来た広瀬さんという方で、不思議と凄く親しみの湧く女性だ。
この後この女性とは縁があることになる。

宿に荷物を置いて、近くのビッグマリーンという喫茶店で遅い昼食をとり、午後3時過ぎの電車に乗る先達さんを見送った。
初日に同行していただくと、とても元気が出てこうも快適な道程になるとは思わなかった。
先達さん、紹介してくださった伊吹さんご夫妻に感謝だ。過ぎ去る電車が見えなくなるまで手を振った。

駅から宿に戻る途中、キヨ子さんの前を通ると、またアイスクリーンをお接待してくださった。
またまたキヨ子さんとお喋りしながら海を眺めて佇む。長閑だ?。
宿に戻りお風呂、洗濯、食事の順に時間は流れた。
食事でご一緒した歩き遍路さんは仙台から来ている70代の女性だった。
昨年の地震でご自宅が倒壊したと言う。
しかも、地震当日は四国にお遍路に来ていて地震を知ったが、家族と連絡も取れず東京まで辿り着いたが仙台には数日間戻れなくてご苦労されたと話してくださった。
とても心が痛み、一緒に泣いてしまった。
たくさんの命を奪った震災、この方の悲しみ痛みが伝わってきた夜だった。

3月7日水曜日
朝4時、起床。
朝ごはんは食べずに6時に出発した。
民宿日の出さんはとても清潔で、ごはんも美味しく大満足だった。
今朝は昨日と打って変わりとても寒い。
薄手のダウンジャケットを着ているが、手足が冷たくて震えながら歩く一日となった。
次第に乾いた咳が出るようになり、腰がズーンと重く痛い。
しかし、先行く広瀬さんに会いたい一心で歩き続けた。
海沿いを歩くと冷たい海風が吹き付けますます身体が痛く熱をもってくるのがわかった。
マズイなぁ?
呟きながらひたすら歩く。
朝の散歩をしている方に元気に挨拶しながら海沿いの公園を抜け、防風林を通過していた時、左脚の付根に激痛が走った。
そこからが地獄の始まりだった。
まだ宿を出て10キロも歩いていない。
腰、左脚の付根、コンコンと続く咳。呼吸がかなり苦しい。
この遍路旅に来る直前まで、肺の治療を受けていたので不安は更に増した。
道端でザックを下ろし、咳き込む私に散歩をしていたおじいちゃん、二人連れの女性達が心配して声を掛けてくださった。
道行く人に迷惑を掛けては申し訳ないと思い、笑顔を作り元気に歩き出す。
でも、左脚は痛くてビッコを引いていた。
距離が伸びるに連れ痛みが増したが、下唇を噛み締め我慢して歩いた。
あまりの痛みにどの道を通ってどんな景色だったのか全く覚えていないのだ。

国道から県道に入り、渡し船乗り場を目指す。しかし、途中に悪天候のため本日渡し船は欠航します。の看板が二つも出ていた。
残念だが、四万十川大橋を渡るコースを歩くことにし、分岐点で右に逸れ歩き続けた。
すれ違うバスのお遍路さんや先達さんらしき人達からご声援を頂いた瞬間だけ脚の痛みが和らぐのが不思議だった。なんでも気の持ちようなのか。
寒さに耐えきれず、途中スリーエフで手袋を購入した。
おじさんが羊羹を買ってきてくれ、甘いもの食べて頑張れと、お接待してくださった。
後数キロで広瀬さんに会えるであろう田子作だ。
教えて頂いたアオサうどんを絶対食べようと心だけは熱く燃えていた。私はかなりの食いしん坊だ。
午前10時15分、やっとのことで田吾作に到着したが、時既に遅し。会いたかった広瀬さんはもう出発した後だった。
店内は地元の方が五人ほど集っており、とても賑やかだ。早速アオサうどんを食べる。
冷えた身体がポカポカと温まった。このお店に寄るよう教えて頂かなかったら、寒さに震え更に体調不良が増していたに違いない。
四万十川が育むアオサ海苔に舌鼓をうった。これはオススメだ。
お店を出る際、おじさま達からご声援を頂いた。
さぁ、腰や足が痛くても前に進むしかない。広瀬さんにはもう会えないかも知れないけど、次の宿まで頑張らねば!
と、意気込んで歩き始めるが、腰と足がかなり痛い。咳はますます酷くなり、胸が痛い。
車道沿いの道から住宅街の細い川沿いの道を抜ける。
程なくして長い長い登りの国道321を歩くことになった。
これほど足腰が痛くなるのは始めてだ。びっこを引きながら少しずつ進むしかない。
そして新伊豆田トンネルに差し掛かる。1.6キロはあったと思うこのトンネル、足腰の悪いノロマな私にはかなり長く感じた。
交通量も多く、マスクをしていないと排気ガスでむせかえる。
途中何度もしゃがみ込みそうになったが、我慢して歩き続けた。
トンネルを抜けたところにあるドライブイン水車で休憩することにした。
トイレ横のベンチに歩き遍路らしき女性の姿が見えたので近づいてみると、なんと広瀬さんだった。
2人して「きゃ?、会えたね!」とはしゃぎ、再会を喜びあった。
そして2人で歩き始めた。
広瀬さんの存在もあり、痛みを堪えて何とか今夜の宿である民宿久百々に到着することが出来た。

明日は足摺岬で宿を取り、二日間かけて打ち戻るかどうかを決め兼ねていた。
夕食時に他の歩き遍路のおじさま達からいろいろアドバイスを頂いた。
足や腰を痛めていることを話していると、久百々の女将さんが連泊して行ける所まで行って、ダメなら車で迎えに来てくださると言う。
よし、明日は早朝から身軽で金剛福寺にアタックして打ち戻ると決めた。
女性お遍路の広瀬さんとも金剛福寺で落ち合おうと連絡をとった。

3月8日木曜日
あまり眠れないまま午前4時起床。まだ明け切っていない空を見ながら6時に出発した。
今日は一日晴天に恵まれるとの地元の天気予報を信じ、少しでも荷物を減らそうと、カッパを持たず、お茶も途中で買うことにした。
女将さんがお昼用におにぎりやお菓子を持たせてくださった。
薄暗い国道はまだ交通量が少なく歩きやすい。
しかし1キロ歩いたところで、左脚の付根に激痛が走る。
距離が伸びるにつれ、胸も苦しくなり呼吸がし辛い。
頑張って歩く。これまで身体は痛くとも、気合いで何とか乗り切ってきた。
自分を信じて歩くしかない、諦めたら負けだ。そう思い痛みを堪え歩き続けた。
大岐海岸の砂浜や防風林を抜ける遍路道もあったが、左脚を引きずっていたため国道をひたすら進んだ。
小学校前のバス停を通過すると遍路シールが左手の道に誘う。
住宅の間などを通過し、以布利漁港の東屋でトイレ休憩をすることにした。
時刻は午前8時50分、三時間近く休みなく歩いてきたが、7キロしか進んでいなかった。
今までに経験したことの無い脚の付根の痛みは悪化し、痛みは太ももから膝にまで広がっていた。
枯れた咳も出始め、胸元の服を何度も握り締めていた。
これ以上歩けるのか、本当に頑張れるのか、自分に問いかける。
女将さんの作ってくださったおにぎりを二口かじる。
そうだ、こうして考える気力があるならまだ余裕がある証拠ではないか。
一歩でも前に進もうと決めた。
遍路地図を握りしめ、歩き出す。
遍路道は海岸沿い、波打ち際を歩いて山道に続いていた。
金剛杖に体重をかけながら、一歩一歩登る。
この先には広瀬さんが歩いているはずだ。会いたい、広瀬さんにもう一度会いたい。
うまく歩けない自分が悔しくてたまらなかった。
その時前方から男性お遍路さんが下りてきた。
挨拶を交わすと、
「広瀬さんは少し前を歩いていたよ、頑張って。」
と言って通り過ぎた。
「えっ?あっ、はい、ありがとうございます。」
どうして、広瀬さんと私が知り合いだと知っていたのか、私が広瀬さんに会いたいと今願っていたことが分かったのか、振り返るがもう男性の姿は無かった。
不思議な体験だけど、広瀬さんが少し前にいると思うと痛めた足や胸の痛みがスーッと取れていった。
一気に山道を上がり椿のトンネルをくぐり抜け海沿いの県道27に出る。
ひたすら歩く。
窪津港を通過する頃突然雨が降り出した。傘を売っている商店もなく、納経帳が濡れないようハンカチをさんや袋に掛け、お軸を抱きしめた。
気温が低く手が冷たくかじかむ。後9キロ。前だけを見てひたすら歩いた。
窪津小学校を通過し休憩した場所から7キロ歩いた権現でとうとう全身に痛みが走り、足が一歩も前に出せなくなった。
時刻は午前10時5分。
胸が締め付けられ苦しい、雨足は強くなる。
目の前にバス停があったが、二時間バスは来ない。
雨に濡れたアスファルトに両膝をついたまま動けなくなった。

終わった。

震えながら携帯電話を取り出した。
宿の女将さんに電話し、助けを求めた。宿からの迎えは車で30分。冷たい雨、吐く息は白い。
そこに二人連れの女性が通りかかり、傘を貸してくださった。
10メートル先に雨宿りする場所があることも教えて頂いたが、全く動けなかった。直ぐに迎えが来ることを話し、お礼を言った。
傘を貸してくださった女性のおかげで、最悪のパターンにならなくて済んだのだと今思う。
女将さんに拾って頂き、午前11時過ぎ、宿でお布団にくるまった。
炎症どめの抗生物質薬を飲み、少し寝てみた。
夕方、近くの民宿いさりびに泊まっていた広瀬さんが私の居る宿に様子を見に来てくださった。
納札を交換し、また一緒に歩ける日を夢見てお別れをした。
夜になると呼吸は少し楽になっていたが、腰と左脚の付根の痛みは取れなかった。

3月9日金曜日
熱が高くなっていたので、朝一番の南風特急で名古屋に戻ろうと、久百々からバスに乗った。
雨が降る景色をぼんやり見つめていると、なんと広瀬さんが雨の中、私の乗ったバスに一生懸命手を振ってくださっていた。
慌てて窓を開けて身を乗り出し手を振った。
「ありがとう!広瀬さん、お気をつけて歩いてくださいね!」
ありったけの大きな声で叫んだ。
強い雨の中、カッパを着ていたから私の声が届いていないかもしれない。
でも、お互いの気持ちは通じていると感じた。
こぼれる涙で景色が滲んだ帰り道だった。


?再び四国へ?

3月31日土曜日
名古屋発午前11時13分のぞみに乗り込んだ。
既に横須賀から姉と慕う友達が乗車していた。
今回は二日間、友達と一緒の旅になる。
というのも、周りの反対を押し切り、明日4月1日に窪川で行われる四万十川桜マラソンに参加するためだ。
しかもフルマラソン。
人生初、未だ10キロ以上を走ったことがなかった私にとっては未知の世界だ。
日頃から運動は皆無。
数ヶ月前に3回ほど5キロ程度のランニングをしたことはあったが、ここ一ヶ月は投薬、肺の治療がありご無沙汰ぎみであった。
夕方窪川駅に到着し、今夜泊まる佐賀温泉こぶしのさとのお迎えで宿に到着し、温泉を満喫。そしてお約束の宴会をしながら世は更けていく。

4月1日日曜日?
四万十川桜マラソン当日
午前6時起床。
マラソンスタイルに身を包み、真新しいランニングジュースを履く。
深夜車を走らせて香川から先達の白井さんが応援に駆け付けてきてくださった。
会場までの送迎と倒れた時の回収役を買って出てくれたのだ。
朝7時時半、白井さんの車に乗り込んみマラソン会場の窪川小学校へ向かった。既にたくさんのランナーが集まってお祭り騒ぎだ。
早速エントリーをしてゼッケンを受け取る。晴天に恵まれたものの、空気は冷たくランニングウェアになると全身鳥肌になる。走る前からめげそうだ。
午後9時、いよいよスタートだ。
スタートラインにランナーがひしめき合っているが、私達はユルキャラのカッパと呑気に記念撮影をしていた。かなり緊張感が無い。
スタートの合図と共に歓声がわく。
沿道にはたくさんの応援してくださる地元の方々がいた。
声援をいただくたびに
「ありがとう!頑張りまーす!」
手を降り、ガッツポーズを友達とやり続けた。
走るよりもかなりのエネルギーを消耗したのは言うまでもない。
時にはおじいちゃん、おばあちゃんとハイタッチで大はしゃぎだ。
20キロを走ったところでだんだんペースが落ちたが、横浜の姉さんや先達の白井さんに励まされ、時折歩きながらも5時間36分で完走することが出来た。
諦めず走った今回のフルマラソン、苦しい時もあったが、参加して良かった。
この経験を今後のお遍路旅に役立てたい。
マラソンスタイルのまま、道の駅でソフトクリームを食べ、芋ケンピなどの買い物を楽しみ、宿に戻る。
足腰が痛く、関節痛が尋常ではない。歩く姿はロボコップ状態だ。
宿に戻り直ぐにお風呂へ直行。
佐賀温泉の泉質は少しヌルヌルしていて美肌にも良いが、筋肉痛にもかなり効くようだ。
お風呂から上がると少し身体が楽になったのにはビックリした。
そして今宵もお約束の宴会となった。

4月2日月曜日
午前6時起床。
楽しかった姉さんとは今日でお別れだ。
わざわざ横浜からマラソンの伴走に来てくださったことを感謝しながら、午前7時、最後の朝食をとった。
マラソンで体調悪化したら姉さんと一緒に帰る予定だったが、これならお遍路旅に出れそうだと踏んだ私は早速今夜の宿に決めていた足摺岬の民宿岬光に予約電話を入れた。
ザックに遍路グッズをパッキングし、マラソングッズは箱に詰めて自宅に送った。
支配人に頼み、窪川駅まで送って頂く。
二日間お世話になった佐賀温泉こぶしの里は清潔、親切、食事もお風呂も申し分ない良いお宿だ。
支配人は若くカッコ良かった。
支配人に、また訪れることを約束した。
窪川駅で南風に乗る姉さんと別れ、午前9時半発のくろしお鉄道で中村駅に独り向かった。
沿線は桜が満開で、春の陽気でほんわかした空気が流れている。
足や膝はマラソンで痛かったが、気持ちよく遍路旅ができそうだ。
中村駅に降り立ち、足摺岬行きのバスに乗り込む。
所要時間約2時間。
長い、ものすごく長いバス旅だ。
終点足摺岬まで行き、先に金剛福寺にお参りをすることにした。
この札所に辿り着くまで、実に4日間を要した。やっとお参りすることが出来たのだ。
境内は広く開けており、真ん中に大きな池があった。
お大師様の像の横にはウミガメ像が祀られていて、海の安全を見守っているそうだ。頭をなでなでしてみた。
本堂で長かった道程を思い出しながら家内安全を祈願。
大師堂では、先達の白井さん、横浜の姉さんに感謝しお二人のご多幸と無病息災を祈願した。
そして、大阪の伊吹さんご夫妻を初めとするお遍路仲間、お接待してくださった方々、応援してくださっている友人や家族のご多幸、無病息災を祈願した。
納経を済ませてザックを担いていると、数人の歩き遍路さんが声を掛けてくださった。今から打ち戻るらしい。
お互いの旅の安全を祈り、お寺を後にした。時刻は12時半。
お寺を出た右手にあるバス停で前回の遍路旅で動けなくなった場所である権現という名のバス停までの時刻表を確認する。
権現のバス停まで戻り、もう一度歩き直すことにしていたのだ。
バスの時間まで2時間あるので、先に宿へ行きザックを預かってもらうことにした。
民宿岬光までは徒歩五分ほど、晴天の小春日和の中ゆっくり歩いて向かった。
このお宿、私がお大師様と仰ぐ大阪の伊吹さんイチオシの宿だ。
とにかく食事が素晴らしいと聞いている。考えただけでお腹がぐーぐー鳴った。
宿に着き、ザックを預かって頂いた。荷物を置いて出掛ける私に女将さんが「観光してくるの?」と訪ねるので、事の次第をお話しすると権現のバス停まで車で送ってくださると言う。
奥の部屋から旦那さんが出番だとばかりに車のキーを持って出てきてくださった。
私の頑固なこだわりだけのために、大切なお時間を使わせて申し訳ないと思いつつ、ちゃっかり車に乗り込んだ。
海沿いのクネクネ道を走ること20分、権現のバス停に到着した。
あった、あった、権現のバス停。
あの時は意識も虚ろで、もしかしたら幻のバス停だったかもしれないと半信半疑だったが、やっと前回挫折したところに戻って来れたのだ。
旦那さんにお礼を言い、手を振って走り去る車を見送った。
さぁ、今回の区切り打ちの本当のスタートだ。張り切って歩かねば。
時刻は午後1時、気持ちの良い晴天の中、左手に大海原を眺め宿までの約8キロの道程を歩き始めた。
歩き始めたら直ぐに菅笠に蝶々がとまる。
歩いても歩いても、蝶々は飛んでいく気配がない。
「ずっと着いてくるの?遠く離れたら家族が心配するんじゃない?」
話し掛けてみるが、返事は無い。
当たり前だ、蝶々が喋ったら恐い。
蝶々は羽を広げたまま、まるで私を見守るかのように数百メートル共に歩んだ。
足を止め、写真を撮ったりした。
突然突風が吹く、目を瞑り立ち止まった。目を開けると、蝶々は居なくなっていた。風に乗って家に帰ったに違いない。
頑張ってしがみ付いていた蝶々を思いつつ、少し笑いながら先を急いだ。
大きな桜の木の下に遍路小屋があったので、桜を見ながら自販機で缶コーヒーとお水を買い休憩した。
海沿いの長い上り坂に差し掛かった時、一台の岡山ナンバーの車が止まった。
優しそうなおじさんが下りてきて、ペットボトルのお茶を二本お接待してくださった。
お礼を言い、両手にお茶を持って歩き出す。
さんや袋にはさっき買ったペットボトルが一本、両手にも二本、それに菅笠と金剛杖。身軽で歩くことなどお大師様は許してくださらないようだ。
頑張って坂道を上がり、午後2時半には金剛福寺に到着した。
明日は雨らしい、風もかなり強くなってきた。
宿の近くに万次郎足湯があったので、100円でタオルを買い入ってみる。
両足の親指の爪が赤くなっていた。フルマラソンを新品のシューズで走ったからだ。
しかし、足湯からの海の眺めは最高である。
でも、お昼を食べていないので早々に宿に戻り、マラソンで頂いたバナナとお菓子を食べたのだった。
ふと、窓の外を見ると小さな公園らしき敷地でイノシシがウロウロしていた。
四国は自然豊かな所だ、窓から身を乗り出しイノシシに興奮していると、女将さんが温かいお茶を持ってきてくださった。一緒になってイノシシ観察をした。

夕食時、女将さんに伊吹さんからの紹介だと話すと、とても喜んでくださった。
しかも数分後、伊吹さんから私の事をよろしくお願いします。と電話があったことを聞かされた。
わざわざ電話までして見守ってくださる伊吹さんご夫妻の心遣いにジーンと感動した夜だった。
教えて頂いた通り、食事はすごく豪華で美味しい。料亭で食べているようだった。これまでで一番豪華だったのは間違いないのだ。

午後9時を過ぎた頃から、雨が降り出し風が強くなった。
テレビで天気予報を見ると、完全に明日は大荒れの天気になると宣言していた。
もう少し希望を持たせて欲しかったが、そんなに遍路修行は甘くなく、夜は更けていった。

 
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先達さんの金剛杖。重くて長いのだ。

先達さんの金剛杖。重くて長いのだ。


キヨコさんのアイスクリーン、冷たくて美味しい!

キヨコさんのアイスクリーン、冷たくて美味しい!


民宿日の出さんの夕食。とっても美味しく大満足。

民宿日の出さんの夕食。とっても美味しく大満足。


民宿日の出から海沿いの公園を歩く。冬空が戻り寒くて震えながら歩いた。

民宿日の出から海沿いの公園を歩く。冬空が戻り寒くて震えながら歩いた。


やっと辿り着いた金剛福寺

やっと辿り着いた金剛福寺


大師亀。みんなに頭を撫でられてピカピカしていた。

大師亀。みんなに頭を撫でられてピカピカしていた。


権現のバス停から足摺岬へ向かう道。蝶々がずっとついてきたので、しばらく「ふたり」で歩く。

権現のバス停から足摺岬へ向かう道。蝶々がずっとついてきたので、しばらく「ふたり」で歩く。


遍路小屋。桜が満開だった。

遍路小屋。桜が満開だった。


万次郎足湯。足湯に浸かりながら海を眺めることができる。

万次郎足湯。足湯に浸かりながら海を眺めることができる。


岬光の前の小さな公園にイノシシが!!窓から身を乗り出して観察した。

岬光の前の小さな公園にイノシシが!!窓から身を乗り出して観察した。


毎日欠かさず洗濯します。宿に着いたら、お風呂、洗濯、夕食の順に時間が流れるのです。

毎日欠かさず洗濯します。宿に着いたら、お風呂、洗濯、夕食の順に時間が流れるのです。


岬光さんの夕食は旅亭に来たみたいでした。これで全部ではなく、まだまだたくさん出てきました。揚げたての天ぷらなど、温かいものは温かく作りたてでした。

岬光さんの夕食は旅亭に来たみたいでした。これで全部ではなく、まだまだたくさん出てきました。揚げたての天ぷらなど、温かいものは温かく作りたてでした。


朝ごはんもすごかった。美味しくてほっぺたが落ちるかと思った。

朝ごはんもすごかった。美味しくてほっぺたが落ちるかと思った。

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