作成日:2011年09月05日 訪問日:2011年09月02日
28番札所 法界山大日寺
田野のお母さんに連れ戻され、宿に着くと山下さんが一階ですっかり寛いでいた。まるでこの家の主のようだ。
慣れた足取りで二階に上がり、お風呂の準備をする。
今日も北川村温泉に連れて行ってくださるという。
はちきんお母さんの絶好調な運転で山道を駆け抜ける。
今夜はお母さん一押しのラーメン屋さんで夕食をいただくことにした。
皆は塩ラーメン、私は塩バターラーメン。
すかさず山下さんが「人と同じことするのが嫌いなタイプだね」とチェックする。
山下さんは直ぐに私をからかう。宮本くんに目で訴えてやったら、笑っていた。
ラーメンが出てきて驚いた。デカい、大盛りだ。
見た瞬間に自分の許容範囲を超えていたので、山下さんに半分食べて欲しいと頼んだ。
頑張ってたべるが、全然減らない。焼豚が五枚も入っており、ギブアップして山下さんにバトンタッチだ。
宮本くんは私より少食なのにスープまで飲み干していた。彼にもいろいろ変化が出ているようだ。
北川村温泉へ着くと、宮本くんが「頑張ってね」と笑いながら言う。
そうだった、うまくやらないと昨夜の苦業が始まってしまう。露天風呂にはご一緒したものの、いろいろ工夫して時間通りに上がることができた。
ロビーで待っていると「彼女に逃げられた」とお母さんに言われてしまった。ごめんなさい。
帰りの助手席は山下さんにお任せして、後部座席でゆっくりさせていただいた。
スーパーに寄り、ビールと軽いつまみを買って宿に戻り、洗濯機のスイッチを入れてビールで乾杯だ。
山下さんが骨盤矯正座椅子に座っていたので、宮本くんと大爆笑した。やはり彼も絶好調らしい。
山下さんは土佐弁に興味があり、お母さんとも波長が合うようだ。
私達はビールを2本飲んで先に二階へ退散することにした。
お母さんが「人数が増えたけん、彼女は一階に寝るか?」とおっしゃるので「私達家族同然ですから大丈夫です」とお話した。
すると山下さんが「出た、得意の家族同然」またいじめるのだ。
二階に上がり、恒例のマメ潰し大会だ。
程なくして山下さんが二階に上がってきた、その顔を見て大爆笑だ。
昨日私がお母さんに塗られたパックを、今夜は山下さんが体験したのだ。思わず写真を撮った。
おかしいーねーと皆で笑って過ごした夜は本当に楽しかった。
宮本くんが寝ていたので、私も寝転んで携帯を触っていたら、山下さんが整体をしてくださるという。
何を隠そう、彼は整体治療院を2件も経営されているのだ。
ありがたくお願いした。
両足が浮腫み、腰も肩も痛い。施術してもらってるあいだ宮本くんは寝ていたものだと思ったが、後で起きてきて大人の会話を聞いていたと言われた。何故に寝たふりをしたのか、可愛い子だ。
いよいよ明日が最終日。
二十八番を打ち、夜行バスで私は四国を離れることになる。
朝5時半に宿を出ることにし、就寝した。
が、昨夜同様眠れぬ夜がやってきた。日頃は睡眠薬を服用している、この旅では飲まないと決め持って来なかった。
隣で寝る彼のタオルケットを掛けなおす作業を続け、いつしか午前4時になっていた。
少しして彼を起こし準備をさせる。
股に保護剤を塗るから扉開けないでね、と言われたが開けるわけがないではないか。朝から笑ってしまう。
朝寝坊な山下さんも起きてきた、私達を見送ってくださると言う。いい人なんだなぁ、と改めて思う。
昨日と同じく朝ごはん、お昼のおにぎりをいただき、山下さんに別れの挨拶をした。
さぁ、出発だ。
深夜から暴風雨になっていたが、幸い今は小降りだ。
道の駅大山に到着し、お母さんと抱き合いお別れをした。
ポンチョを装置して歩きだす。
海沿いの道、荒波が打ち寄せテトラポットや防波堤にドーンドーンとぶつかる。
道が地響きを鳴らして揺れるたびに、びくびくする私。
波しぶき舞う中、歩き続けた。
一時間おきに5分ほどの休憩を挟み、前に前に進む。細い道は一列に、広い歩道は横に並んで声を掛け合った。
私が先頭を歩いていると、何気ない場所でズルッと滑った。
振り返り滑った場所を見てみるが、何故滑ったのかわからない。
もしかして、私だけかと思い、彼が同じく滑るかどうか見ていた。
すると同じ場所で彼が滑った。
「あっ、滑った」と驚く彼に「私も同じ所で滑ったよ」と言うと、何故滑ると注意してくれないのかと責められた。
「だって、もしかして私だけ滑るのかと思って確認したかったんだもん」ひどーい、ひどーい、と彼に叱られた。爆笑しながら先に歩く。
箱根駅伝を舞台にした『風が強く吹いている』という映画がある。
その中で、マラソンランナーが言われて嬉しいセリフが何か、という場面があり「やっぱり、『早さ』ですかね」「いいや、『強さ』だと思うよ」このセリフが彼のツボに入っているらしく、お遍路が言われて嬉しいセリフは何かな「やっぱり、『早さ』ですかね」と私が言うと、彼が渋い顔をして「いいや、『強さ』だと思うよ」と続ける。
もう台風の荒れ狂う中で大爆笑だ。
おまけに風が強く向かい風になると「風が強く吹いている~」映画のタイトルを叫ぶはしゃぎぶりだ。
台風で気持ちが落ち込むため、二人してわざとはしゃいでお互いを元気づけるかのようだった。
雨が強くなる。
歩き始めて17キロポイントのレストラン柿の木で冷えた体を温めることにした。
珈琲にたくさんのモーニングが付いていた。彼がすべてお接待してくださった。
あと12キロで私の区切り打ちが終わる。感慨深い気持ちで彼と二人歩き続けた。
札所手前の高知黒潮ホテルの竜馬温泉にお願いしてザックを預かっていただくことになった。
身軽になり最後の二十八番札所へは午後3時過ぎに到着した。
境内は台風の影響で閑散としていた。
ゆっくりお参りをし、大師様にここまで無事に辿り着けたこと、素敵な遍路仲間に巡り合わせていただいたことを感謝した。
そしてこの先、宮本くんの歩む道が幸せで素晴らしい人生になるよう、心からお祈りをし、私の最後の札所となった。
納経所でご朱印をいたたき、ベンチをお借りしてお母さんのおにぎりを食べた。お寺の方から温かいお茶をいただいた。
終わった。肩の力が抜けた。
家出同然で出てきたお遍路旅。
帰りたいとは思わなかった。
むしろ、このまま旅を続けたい気持ちが勝っていた。
しかし、通院のために帰らなければならない、身体のタイムリミットだった。
タクシーを呼んでいただき、竜馬温泉に戻る。
温泉に浸かって汗をながす。
今夜、はりまや橋を午後10時10分発のバスで帰ることになっている。
彼が最後まで見送ってくださるという。とても嬉しかった。
まだ時間があったので、はりまや橋近くのひろめ市場でとっても美味しい鰹のたたきや塩鰹のたたきをつまみに乾杯することにした。
ここで、私の携帯にバス会社から運休の連絡が入る。頭が真っ白になった。
翌日夜のバスに変更していただいたが、早くホテルを見つけなければならない。
彼にそう言うと、実家に泊まっていけばいいと勧めてくださった。
見知らぬお遍路を突然実家に連れて帰ったらご両親も困るであろう、何度もお断りしたが是非にと、気を遣って誘ってくださった。
正直、一人はとても寂しく不安だった。
何より彼との別れも辛かった。
いいのかなぁ…そう思いつつ、お世話になることにした。
自宅にメールしたが、数日前から返事は返ってきていない。夫はかなり怒っているようだ。また帰りが長引くと後が怖い。
そう思いながら、彼がオススメする鰹のたたきを食べた瞬間、元気が出た。私はやはり単純なのだ。
新鮮で絶品だ。つい、おかわりをしてしまった。後はダバダ火炙という焼酎を二人で飲んだ。
お互いの仕事の話しなどをして過ごした。
お父様が車で迎えに来てくださった。
ご実家に着くとお母様も優しく温かく迎えてくださる。彼が育った環境が一瞬で理解できた。
二階の客間には既にお布団が敷かれ、ゆっくり休んでね、と優しく言ってくださった。
見ず知らずの私に、とても親切にしてくださる、本当に申し訳なく思った。
彼とダバダ火炙を飲み直した。
彼がお遍路を始めた理由を初めて話してくれた。
いろんな悲しみや苦しみ、悩みを持っている、彼も一生懸命生きている、そう感じた。
だけど、彼には幸せな人生を歩んで欲しい。こんなに優しく親孝行な彼が私は大好きだ。
私も病気になり、何度も死んでしまおうかと思った。
仕事もうまくいかなくなった。
すべての歯車が狂い身動きが取れなくなった。
遍路旅に出たのだ。
まだ始まったばかりの遍路旅だが、すべての方に生かされている、そう思った。応援してくださる方がいる。もう少し頑張ってみようと思う。
翌朝、お母様が朝ごはんを用意してくださった。とても美味しくて、何よりお母様の笑顔がとても優しく可愛らしかった。
食後、お父様が私に美味しい珈琲を入れてあげなさいとお母様に言っている。
エスプレッソを入れてくださった。薫りもよく、ちょっぴりほろ苦い、とても落ち着く味がした。
午後になると、彼が車で三十六番札所に連れていってくださった。車を走らせる途中、橋を通過した際何か不思議な感覚に戸惑う。また橋を通る、あっ、金剛杖を上げなければいけない感覚が身についたのだ。
すぐに彼に話すと、同じことを考えていたらしい。二人で笑った。お遍路ならではの会話だ。
そして過ぎ去る景色の中、ガードレールや電柱に遍路シールを探す。車ではなかなか見つけることが出来ないのだ。
札所から札所に向かう道、自販機がどこにあるか、休憩ポイントはどこか、今後の下見を行った。
彼は明日から再開する。私は今月末からだ。
青龍寺に参る、雨に濡れてしっとり美しかった。
明日からの彼の健康と無事をお祈りした。
須崎にある卵焼きの美味しいお店を教えていただき、味見をし、黒潮本陣の温泉に入った。
ご実家に戻る途中、またバス会社から今夜も運休になったと連絡が入った。もうパニックだ。
慌て高知駅に連れていってもらうが、JRもすべて止まっており、再開の目処がたたないという。
これ以上彼に迷惑はかけられない。
でも、もうお金が無かった。家を出る時、主人のクレジットカードはすべて置いてきた。現金を握りしめて出てきたからだ。
彼に最後のお願いをして、お金をお借りした。彼は快く貸してくださり、いつでもいい、気にしないでと優しく言った。
私はバカだ、結果的に周りに迷惑ばかりかけている。とても恥ずかしく、情けなかった。
ご実家に戻り荷物を持ち出そうとすると、夕飯だけでも食べていってと、お父様、お母様に勧められた。
申し訳なく情けなかったが、ありがたくいただくことにした。
お母様が四国の和牛や地鶏を買ってきてくださり、豪華な焼き肉を食べさせてくださった。とても美味しく、温かい家族の会話に包まれて、私も幸せだった。
お礼を言いご実家を後にした。
駅近くにホテルを取り、彼と別れる時がやってきた。もう泣かないと決めていた私に、彼は別れ際一つの封筒を渡してくれた。
お礼を言い、彼が去っていくのをずっとずっと見ていた。
ホテルに入り、封筒を開けると、中には一通の手紙と大日寺の赤い御守りが入っていた。
手紙には「あなたの健康とこれからの快方を願ってきました。大丈夫だよ、いつもあなたの傍にいます。また会えるのを楽しみにしています。」そう書いてあった。
『傍にいる』とても優しい言葉だった。
初めて声を出して泣いた。切なくて切なくて、胸が苦しかった。
あまりにも彼が眩しかった。これまで会ったお遍路仲間の方達がみんな眩しかった。
すべての方に感謝し、きっとまたこの地に戻ってくる決意をした。
最後に、彼のご実家に居るとき
「僕はミポリンのお大師様だからね」
と彼が笑顔で言ってくれた。
私のお大師様が姿を見せてくださった瞬間だった。
生きている限り、私は前に前に進もう、もう後ろは振り返らない。
すべての出逢いに感謝だ。
長い日記を読んでくださった皆さん、そして応援してくださった皆さん、また9月末に戻ってきます。
こんな私ですが、どうかよろしくお願いします。
パック攻めに遭った山下さん
区切り打ち最後の大日寺
可愛い納経所案内地蔵
宝物
°・(ノД`)・°・
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。・゚・(ノД`)・゚・。
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