作成日:2014年04月20日 訪問日:2014年04月20日
88番札所 医王山大窪寺
昨日、朝7時20分に結願しました。
あんたが退職したら一緒に行こうや!宮本さんとの約束をようやく果たすことができました。私自身この四年の間に耳、胃、食道に異変がありましたが、それらを全て受け入れ、家族の幸せ(日本、世界の平和も)を祈りながら回りました。皆様には、これまでの応援ありがとうございました。
昨日は大窪寺で一番まで歩くことについて聞くと、必要ないですよ。奥の院に参っていただければいいですよ、にテンション下がり、結局道も間違えて徳島から和歌山にフェリーで渡りました。和歌山は宮崎の冬の様でした。
高野山奥の院へは、電車とロープウェイを利用するのが普通ですが、こだわるのが私達団塊です。どうせなら、表参道をどうどうと下から行きたい、熊野古道も歩きたい。
という訳で、本日は、弘法大師が月に9度母に会いに高野山から駆け下りて来たという地名の由来の九度山駅から、真田幸村ゆかりの真田庵を経由して母親が住んで居たと言う慈光院から、世界遺産の熊野古道の一部でもある「町石道」を21キロ約8時間掛けて行きました。ようやく4時に着き、高野山入り口の朱の大門を見たとたん、高野山にきた?ッと思いました。(写真)
お遍路ポータルを読んで、四国に行こうと思った皆さん、貴方も歩けます。歩きながら、宿、人、自然など様々な出会いがあります。そしてこのように歩ける体に産んでくれた両親に感謝し、これまでの自分を振り返る旅でもあると思います。
貴方も四国病に掛かること間違いなしです。
私は前回の遍路でどうしても忘れられない宿があり、また会いたい人達がいます。
江戸の風情を残す宇和町卯之町の松屋旅館の大女将とオリーブの様な若女将、宇和島オリエンタルホテルの作る人の魂が入った朝食、そしてお遍路宿の原点「民宿旅路」。
残念ながら旅路は主人が亡くなり辞めたようです。テレビも何もない宿でしたが、正に原点を実感し二泊しました。まだお母さんが元気なら是非会いたいと思います。
皆さんの参考のために、前回靴の選択に失敗し足指を痛めた経験から。
幅広の足の私の靴は、ニューバランス585(Gサイズ=6E)、靴下は武田レッグウェアー株のランニンソックス厚地タイプラソン5本指タイプ。これで、52キロ歩いた時以外はOKでした。果物はデコポンが剥き易く皮も薄く食べ易いのでよく購入しました。
今夜は、宮本さんに高野山に行ったら是非泊まりなさいよ!と言われた通り、宿坊に宿泊してます。
これまで読んでいただいてありがとうございました。
靴と靴下です。おかげでマメはなしでした。
町石道に、何箇所も熊注意の看板あり。
一町(109m)毎にこの様に町石あり。西洋の石畳道ではない。
威風堂々たる大門です。
宿坊の精進料理です。部屋は寒く暖房を入れました。
お疲れ様でした?!
先々週くらい宮本おじちゃんのこと何気なく思い出してました!
ちょうど、出発されたころだったのかもしれないです(*^^*)
ずっと読んでて、何度も涙が出てきました。
おじちゃんに会いたいですね。
panda-world.ne.jp
結願おめでとうございます!
このブログの見方がよくわからず、ずいぶん前の道中記にコメントしてました。
GWには親父を想いつつ一献傾けます。
ppp.bbiq.jp
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