作成日:2015年02月16日 訪問日:2014年12月10日
88番札所 医王山大窪寺
昨夜は夕食後部屋で遍路中に集まった霊場の御札、見学した施設のしおり、金銭出納の整理などをしながら部屋で1人お酒を心行くまで飲み就寝ました、帰途は大窪寺からはバスで琴電「長尾駅」行きのバスに乗る予定ですがバスの発車時刻は午前10時過ぎしかないのでどこかで時間を潰そうと考えておりましたが朝7時に多和小学校前から琴電「長尾駅」行きの大川バスが出るのでそのバスに間に合うように段取りを組んで下さる「八十窪」の女将さんの気遣いで早朝の6時頃朝御飯を準備してもらい同宿した老夫婦と私の3名は宿の若奥さんの運転する車で多和小学校前バス停まで送っていただきます、まだ暗い夜道を大窪寺へ向かうお遍路さん数名がそれぞれ個々に歩いて行くのと擦れ違いましました、「この辺りには宿は無いし時間からして野宿でもしたのでしょうか?」私の独り言に若奥さんは「この時間に歩いている人は多分野宿をあいた人達だと思いますよ」との返事、12月も半ばに入り寒波も襲来している時期に山間部野宿できる施設があるのでしょうか?宿の若奥さんにお礼を言い多和小学校バス停から大川バスに乗車昨日歩いてきた道をバスの車窓から眺めて入るうちに大川バスの営業所に到着しました、ここでご夫婦とはお別れです、夫婦は大川バスの別路線のバスを乗り継いでオレンジタウンを経由して1番霊場「霊山寺」に向かわれるそうです。(四国遍路の結願は1番霊山寺に参拝して終了とも言われていますが)大川営業所での別れ際老夫婦の奥さんが「帰宅して暫くすると四国病に掛かりますよ」の言葉を頂き「どうぞお元気でお過ごし下さい、機会があり再開する時があれば一献傾けながらお遍路の話でもしましょう」と自分ながら素晴らしい言葉を返し握手をして次のお互いの目的地へ向かいます、四国病とは1人でお遍路を体験し結願した人は結願した時の達成感や無心で歩いたお遍路時が忘れられなくて幾度も四国のお遍路をするということですその人達のために遍路札もお遍路の回数により白、赤、緑、金など4色に分類され色分けされてます、琴電「長尾駅」から朝のラッシュにJ紛れてJR「高松駅」へ移動します、琴電「高松築港」駅へ向かう途中の車内での私は初めてのお遍路を一度で結願出来た達成感で晴れ晴れとしていました。JR「高松駅」で少し列車の時間待ちをして四国へ入った時と同じ「マリンライナー」に乗車海を渡る車窓から見える快晴の空とそれを映してキラキラ光る瀬戸内海を眺めながら朝酒を飲んでいます、行きも飲酒、帰りも飲酒お遍路中はお酒を飲みずめでした、JR「岡山駅」からは新幹線で「広島駅」へ移動してJR呉線に乗り換え広島県呉市にある「戦艦大和ミュージアム」と「鉄のくじら館」を見物するために「呉駅」へ向かいます、
*呉市内で1泊しますが翌日「呉駅」から「広島駅」を経由してJR「大阪駅」から地下鉄御堂筋線に乗り継ぎ南海電鉄「難波駅」から高野山へ向かいます、
大阪難波駅で高野山の2日間フリー切符を購入し極楽橋へ向かう特急「こうや」に乗車したのは午後1時を過ぎていました、極楽橋駅からケーブルカーで高野口、そこからから高野山地域に向かうためバスに乗り込みます、バスでの参拝でもお遍路さんは路線途中の女人堂付近で下車し遍路道を歩いて高野山の「大門」から歩いて「奥の院」へ向かうのが正式な遍路結願のルートですがこの時期日暮れは早いし先日の寒波の為遊遍路道の積雪も予想されるので1人で行動してここで怪我でもしたら元も子もないので「一の橋」バス停まで行き下車しました、薄暗くて先日降った雪の残る寒い奥の院へ向かう参道には視界に見えるかぎり参拝者の姿はありません、結願の日に泊まった宿のおかみさんから遍路満願の報告は最初に「奥の院」次に「金剛峯寺」と決っているので順番を間違えないようにと言われているので今日は「奥の院」に納経をします、奥の院本堂入り口に置いてある香を振り体を清め弘法大師御廟へ向かいます、高野山奥の院に25年ほど前に観光で訪れていますが当時と今とでは心構えが違います、誰もいない「御廟」は荘厳な雰囲気でその中で最後になる般若心経の納経を済ませて御朱印を貰う為に納経所へ向かいました、納経所では係りの人に満願のねぎらいの言葉をいただき御朱印をいただき下山します、納経所の人の労いの一言で本当に結願したと実感しました、今日は予約しておいた高野山宿坊「大園院」に泊まります、今日の宿泊者はお寺に縁があるご夫婦と私の3名で宿泊者が少ないので風呂は男女交代入浴後脱衣場で着替えているとこのお寺のお坊さんが入れ違いに入って来ました、宿泊者が少ない時は宿坊もこうなんですね、入浴後部屋で豪華な精進料理と般若湯(お酒)で夕食をすませ物音のしない静かな部屋でぐっすりと眠りました。
昨日お宿泊者は私と夫婦一組の三名ですがご夫婦はこのお寺に縁のある方のようでお勤め後退席され私一人だけ住職様と向き合い法話をお聞ききしたり本堂内部を拝観出来た事は四国遍路旅を終了するにあたり貴重な体験ですが高野山の由緒あるお寺の住職の法話を直接伺えた事は後にも先にも来ないと思います、朝食を済ませ大園院の住職様に「お家に無事に帰るまでがお遍路ですので気をつけてお帰り下さい」の言葉を頂き、昨日まで使用した金剛杖を住職自らが手渡して下さり修行僧の皆さんに見送られて門を出て振り返り本堂や見送りの皆さんに向かい感謝の心を込めて合掌してお寺をあとに四国遍路結願最後の札所「金剛峯寺」に向かいます、*尚宿坊は満員の時もあり、一人の宿泊者の無い時もるけどやはり予約をしておいた方が無難です、その日の金剛峰寺はお寺の行事に為に拝観は出来ませんでしたが納経をして御朱印を頂いて金剛峯寺の山門で合掌、南海電車に乗車、「新大阪駅」から新幹線「名古屋駅」経由、名古屋鉄道乗り換えで我が町の駅に到着、自宅まで約5キロの道のりをお遍路旅の最後の締めくくりとして菅笠を被り金剛杖を手にいつもと変わらぬのどかな田園風景を歩き無事帰宅しました、これで私の初めての四国88ヶ所遍路旅も終わりました、11月15日の出発時に起きた横浜駅人身事故による新幹線の遅れで始まり、12月10日高野山の宿坊では一人で住職のお話を聞く事ができた事で終了となりました。
四国88ヶ所を巡礼してみると歩き始めて2日間は四国の舗装が合わなくて足に肉刺が出来歩けずに駅までタクシーを利用したり、歩き始めてすぐ知り合ったオランダ人の「XXさん」11番藤井寺ではベテランのお遍路さんに和袈裟が裏表逆と指摘されたり、12番焼山寺では亡き友人の分の納経を拒否されたり、その逆に趣旨を理解して下さった霊場もあったり、雨の霊場では納経のため高齢者が手摺を掴んで長い石段を登っていたり、歩き遍路以外はお遍路とは認めない偏見を持ったベテランのお遍路さんのいたり、26番「金剛頂寺」では大切な金剛杖を忘れたり27番「神峯寺」では前夜同宿した車でお遍路をしているご夫婦の車に便乗したり、亡くなった奥さんの霊を弔う為に札所を回っている人、どこの札所の参道が一番きついかのお遍路さんの情報もあったり、28番「大日寺」では1人だけで拝観した特別公開の秘仏を前に氏子さんの目が気になり般若心経の唱えれずにじっと見るだけの自分、29番「国分寺」付近の川沿いの土手で会話して始めての接待でペットボトルのお茶を貰い受けたお寺の檀家さん、30番「善楽寺」の門前では静岡県より仕事の暇を見つけてはつなぎ遍路中のお遍路と路上での長い立ち話、58番「仙遊寺」での和尚さんとの会話等々?思い出せば後から後から出てきます、またお遍路の仕方等に順位をつけている人経験豊富な歩き遍路さん達もいるの事も事実です、暇に任せて四国の遍路道を歩くだけの人もいます、朱印を集めるだけの人もいました。四国遍路道を歩き通した人だけに発行される「歩き遍路大使任命書」が実はお遍路さんの自己申告制で発行されたり、失った家族、友達等を供養するために霊場では時間を掛けてゆっくりお参りしている人もいます、私がお遍路中見知らぬ人達から受けたお接待は大変ありがたくお礼に渡した納め札を心良く受け取られた時の感激も忘れられません、その納め札もどこかの家で保管されている事と思います、今後も健康で過ごしていたり諸事情が許せばお遍路に出る事があるかもしれません、
最後に私の下手な文章の道中記をお読み下さりありがとうございました、お遍路当時の日記や記録、当時の写真等を見ながら遍路道中記を書いていると改めてお遍路中の出来事が思い出されました。後まで私のつたない文章をお読み下さりありがとうございました。 (完)
四国霊場88ヵ所開場1200年記念の御札。額にいれたりしてミーハーですね。
四国霊場参拝はJR四国の電車で始まりました。
高野山から帰ります、南海高野線極楽橋駅にて、霊場参拝は電車で始まり、電車で終わりました。
高野山「金剛峯寺」の御朱印(右)、高野山のみ朱印に日付が入ります。
高野山「奥の院」の御朱印、こちらを先に回ります。
普通の年に貰える御札です、御本尊御影保存帳に保存じました。
四国電力広報誌
安楽寺宿坊で夕食時にオランダ人のXXさんと私、四国電力広報誌の遍路特集の取材に遭遇しました。よい思い出になりました。
気ままに過ごすさん、こんばんは(^^)/
「満願」おめでとうございますm(__)m
私達は、今月末、空路北海道札幌行きです(((^^;)
逆打ち高野山「満願」は、春先頃と(^人^)
「奥の院」と「金剛峯寺」納経帳…「開創1200年」の御朱印は無いのですね(((^^;)
四国遍路巡礼…何の為か…即身成仏…「心読生」…生命ある、みんなの為…終わりない旅かも…今も、お大師様は巡礼してると…
日向さん今晩は、私は今日まで京都へ観光に行って特別拝観の寺院を見てきました、日向さんが向かう北海道はまだまだ寒いですから風邪等を引かないように健康には気をつけて下さいね。
私の最終の道中記は少し迷いましたが生意気にもお遍路さんの批判を載せてしまいました。
春の高野山は桜の花も綺麗だと思いますので「満願」も思い出に残ると思いますよ。
高野山では開創1200年記念の「しおり」が頂けるようなのでお宝が増えますよ。私にとっての四国巡礼は何を得たのかはうまく表現ができませんが、自分は四国では「無形」でしたね、巡礼をしている私の素性は誰も知らない、家族も私が今何所にいるのかも知らない、私は予定どおりに88番札所までたどりつく事のみ考えて過ごしていました。これでは答えになっいませんね、でも健康でいられたのなら来年もう一度お遍路をする心構えでおります。お大師様は今でも四国を巡礼しておられますし時には高野山へお戻りしておられると思います、日向さんは必ずお会いできますよ、春の満願報告の奥の院の帰りに参道の杉がざわざわと風で揺れる事に遭遇したらお大師様が日向さんの「満願」に労いの言葉をかけた明かしかもしれませんよ。
気ままに過ごすさん、こんばんは(^^)/
京都寺院参拝、良いですね~♪私達も、行きたいたですが、中々時間無く…(((^^;)
今月末、野暮用で!?空路北海道札幌行きとなり、着替え装備&タイムスケジュール等々で大変です(((^^;)
「四国遍路巡礼」…人各々色んな感じ方があるのでは…それは我にあり、汝にあり…と(^人^)
私達は、「順打ち」→「逆打ち」し、巡礼中、光…風…音…人…友…等を感じながら…高野山「逆打ち満願」アップしてこのサイトは【完】としようと思いますm(__)m
私達は、まだまだ此れからも、終わりない巡礼(^人^)したいと思ってます♪(^-^ゞ
何時か何処かで(^人^)(^人^)です(*^^*)/
日向さんもこのサイトを卒業なさるのですね、私はお遍路の記録を残すにあたり自分のPCでは故障や記録媒体の紛失、等等色々な事情で貴重な思い出を消失した事態に備えてどうしたら良いかと考えた時このサイトを見つけ遍路道中記として投稿した次第です、このサイトが有る限り私のお遍路記録は残りますし、友人にも読んでもらう事も出来ますしダウンロードして手元に残す事も出来ます。このサイトで日向さんと知り合えた事は大変嬉しかったです、岐阜県から来ているお遍路さんとお話しする機会があったら私の事を思い出してください。道中記には書きませんでしたが始めての遍路旅で88ヵ所ほぼすべての霊場では作法どうりの参拝が出来たのはお遍路に出る4日前に急死した親友と不遇にも亡くなった2匹の通い猫の冥福を祈りたいと思う一心でした。ではいつか四国霊場のどこかでお会いできる事を楽しみにしております。
気ままに過ごすさん、こんばんは(^^)/
私達の巡礼は、実父の遺品整理から…四国遍路巡礼「納経帳」等々を見てから…今の奥さんの巡礼しようとの提案からで、休暇時は、四国徳島自宅帰宅なもので、まず車で夫婦「順打ち巡礼結願~高野山満願」しようと…このサイトを知り「巡礼記録」し、巡礼し、サイト内の人達から色々と情報もらって、数人の人達と巡礼先で出会い、又々色々と…結果「開創1200年」を知り、「逆打ち…何時か何処かでお大師様と…」
夫婦巡礼…此れからも、時間出来れば「四国車遍路巡礼」します…その内「通し歩き遍路」も、その時の体力作りもしてからですが…
はい!必ず何時か何処かで(^人^)=(^人^)
akiyumi12080405@yahoo.co.jp
上記「コメント名無し」は、「日向」です…又、気ままに!?メールください(^-^ゞ
ありがとうございます、お遍路をしていればいつか何処かでお会いできる事と思っております。
日向さん今晩は、もう一つ話忘れた事があります。
それは他界した親友が危篤になる前日(11月x日)の見舞い時に「俺は四国へお遍路に出る事になっているのでお前の分まで四国88ヵ所の御朱印を持って帰るのでそれがあると病気は必ず治るぞ!」と言い残し病院を後にしました。彼は11月x日彼は主治医に「友達が四国で御朱印を持って12月に帰って来るけどそれまで持ちますか?」との言葉を最後に…。です、
御朱印は4番大日寺、41番龍光寺、(両寺共お坊様が朱印を書いています)では事情を説明してなんとか朱印を貰えましたが12番霊場「焼山寺」ではどうしても本人がいなければ御朱印は出せないと断られました、4番「大日寺」から私はお遍路さんの納経する姿を見るようにしてお遍路を続けました、人を批判するにはまず自分からです。ごめんなさい、日向さんもう一つ投稿していない事があります、それは前山ダムにある「遍路交流サロン」が発行する歩き遍路大使任命書の発行の基準を運営するNPO法人遍路おもてなしネッワーク宛てにお遍路とは何か?お遍路さんとは何か?メールで質問したことがありますが一度だけ弁明じみた返信メールが届いただけでその内容は「色々な事情でお遍路さんの自己申告です」との回答がありました、再度の質問の返事は未だに届いていません、お遍路をするのは人それぞれの事情があると思うのです、お遍路とは何か?お遍路さんとは何か?答えは永遠に出ないでしょうね?そんな硬い事は考えずに来年はまたお遍路が始められるように体調を整えたいと思います、私は普通の人間なのでご安心下さいね(少し変人ですかね)私の所にもメールをいただけければ嬉しいです、
siokawa28@yahoo.co.jp,です。
気ままに過ごすさん、こんばんは(^^)/
人生…人各々…巡礼も…
多分…個人の価値観だと…その内で、出来れば、悔いの無い生活&信仰と…
私も、何をすれば!?…解りません…しかし、今すべき事…それは、自分の中にあると思います…私は、それの道標の中に、信仰があり…お大師様の「心読生」の中に、有るように思います。
此れからも、体調お気を付けてp(^-^)qです!!
気ままに過ごすさんの、Yahooメール送ってますが、閲覧してくださいましたか!?(((^^;)
追伸…12番焼山寺…ちょっと…遍路友達も…
それも、良いか悪いかを感じるのも…我にあり、汝にあり…では
喜怒哀楽の中の1つ…何を信じる…又、我にあり、汝にありと
「焼山寺」の件も含めてお遍路をしていない人の分まで納経したからそれを認めてもらうこと事態が間違った行為だったかもしれませんね、お大師様の前では素直になり、自分に正直に向き合い、お経を唱える。次回のお遍路時に出る事が出来たら…。
ところで京都の「東寺」は四国お遍路に出る前に参拝する「霊場」だったのを先月の京都旅行で知りました、次回京都へ行く時には「東寺」に参拝する事にします。「お大師様勉強不足でごめんなさい」と。
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